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1926年、ジェームズ・O・マッキンゼー氏は、シカゴで「“accountants and management engineers(会計士・経営工学士事務所)」を開業しました。会計士は経費を集計するだけでなく、予算を経営に役立てるべきだという、当時としては斬新な考えを持っていました。
最初のクライアントは、新しい所有者に売却されたばかりの食肉加工会社、Armour社でした。
シカゴ大学の教授であったマッキンゼー氏(愛称「マック」)は、分析力には長けていたものの、人付き合いはあまり得意ではありませんでした。
彼は、この隔たりを感じ取り、アンドリュー・トーマス(トム)・カーニー氏をパートナーとして迎え入れました。トムは親しみやすく、誰とでも話ができる、まさに事業の発展を導くのに最適な人物でした。また、カーニー氏はマーケティングと経営の専門知識を持ち、マッキンゼー氏の会計と法律に関する知識を補完していました。こうして、コンサルティング業界をリードする2社が誕生しました。
後にライバル企業のScovell, Wellington & Companyと合併し、ニューヨークとボストンに拠点を拡大しました。しかし、双方の文化や指導方針は大きく異なり、1937年にマッキンゼー氏が亡くなってからわずか2年後、会社は2つに分裂し、一方はニューヨークに残り、他方はシカゴに残りました。カーニー氏は後者を率いて、社名をMcKinsey, Kearney, and Companyとしました。
その頃には、「コンサルタントは顧客にアドバイスをするだけでなく、自ら手を動かし、役員室や工場の現場で顧客の改革を支援しなければならない」という考え方に基づき、独自のコンサルティング理念を確立していました。当時としては画期的な試みであり、その効果は絶大でした。会社は、カーニー氏の「助言と行動」という戦略を導入し、彼の指導の下でそれを実践しました。
1947年、ニューヨークのMcKinsey社がシカゴに事務所を開設する計画を発表した際、似た名称の事務所が2つあると混乱を招くという理由から、一部では懸念がありました。McKinsey社は、「McKinsey(マッキンゼー)」という社名の独占使用権を買い取り、以後、カーニー氏の会社はA.T.カーニー社として運営されるようになりました。 1959年には、従業員も70人ほどに拡大しました。
社歴その1
| 1926 | 前身となる会社が設立される |
| 1929 | Tom Kearney入社 |
| 1935 | Tom Kearneyがマネージング・パートナーに就任 |
| 1939 | 分割した会社のシカゴ拠点を「McKinsey, Kearney, and Company」と命名 |
| 1947 | 社名を「Kearney and Company」に |
世界進出
当初、カーニー氏は、シカゴに拠点を置けば、必要な業務はすべてこなせると考えており、より広い事務所網を構築しても得るものは少ないと考えていましたが、顧客数が増えるにつれ、次第に活動の幅を広げていくことにしました。そして、1950年代後半には、西ヨーロッパのコンサルタントと次第に提携を結び、国際的な活動を始めました。
カーニー氏は1961年に引退し、その翌年に亡くなりました。後任のジム・フェラン氏は、トムが掲げた価値観に忠実な人物でした。しかし同時に、彼は会社の成長を望み、その指導の下、まさにそれが実現したのです。1961年には、シカゴのパートナー1名が国際ビジネスに専念するようになり、1964年にはデュッセルドルフに当社初の海外事務所を開設し、家族経営の小さな園芸機器メーカー1社をクライアントとして活動を開始しました。当社は同年、25人弱のパートナーの下で、正式に法人化しました。
1960年代後半から1970年代にかけては、初めてアメリカ人以外のパートナーを選び、各国に投資促進機関を設立し、中国を欧米の発展に開放するために活動し、拡大を続けました。1971年には、最も重要かつ永続的な外部とのパートナーシップの1つである、欧州経営フォーラム(現在の世界経済フォーラム)が発足しました。
日本進出と東京オフィス設立については後述
1980年代には、「グローバル展開」と「リーダーシップ」という方針が定着し、ヨーロッパ、アジア各地に拠点を開設しました。売上高は初めて1億ドルを達成し、従業員数は1000人を超え、IT、ビジネス戦略、組織改革など新しい分野にも手を広げ、戦略的ソーシングの先駆的企業となったのです。
1990年には、売上高の40%以上を戦略業務が占めるようになり、1992年にはグローバル・ビジネス・ポリシー・カウンシルが設立され、経営幹部や政治家からますます信頼を得るようになりました。
この黄金期は、2桁成長が当たり前でした。しかし、経営陣は、それまで培ってきた価値観を維持する必要があることを認識していました。そこで、優れたクライアントへの働きかけ、人への思いやり、人材育成を優先した全社的なプログラムを開発し、文化に根付かせたのです。
社歴その2
| 1964 | 最初の海外拠点をドイツに設立。 |
| 1971 | 欧州経営フォーラム(現在の世界経済フォーラム)が発足 |
| 1972 | アジア初の拠点として東京に支店(営業所)を設置。社名を「Kearney, Inc.」に変更 |
| 1985 | 中国でのコンサルティング業務を開始 |
| 1985–1988 | この4年間のあいだに、世界中の拠点を26へと拡大 |
| 1992 | マクロ経済部門シンクタンクGBPC(Global Business Policy Council)を設立 |
アジア初の拠点を東京へ
かねてより欧米以外への進出を模索していた経営陣(Dr. Ralph W. E. Reid & Mr. Robert J. Hamman)が、1970年9月25日、当時の通称産業大臣・宮澤喜一氏に面会し、米国の経営コンサルティング業について説明する機会を得ました。 通産省の反応ははっきりとしたものではなかったが概ね好評。
1970年10月16日の取締役会にて、日本進出が承認されました。日本市場の調査は続けられ、翌1971年10月15~16日の取締役会にて、日本進出において住友銀行の協力を仰ぐことが報告されました。
1972年8月24日の取締役会にて、住友ビジネスコンサルティング株式会社(1971年3月設立~2001年12月にコンサルティング部門は日本総合研究所に統合)との提携が承認されました。このとき、欧州での業績が思わしくなかったこともあり、取締役たちからは、「すでに進出しているイギリスやフランスでさえ難しいのに、文化や商習慣の大きく異なる日本とは…」と危惧する声もありましたが、「Kearneyが国際的に存在感を示すには、急成長している日本に進出しなくてはならない!」との声が多数を占めた、と当時の議事録に記されています。
社名:エー・ティー・カーニー・インターナショナル・インコーポレーテッド
1972年10月11日に支店(営業所)として設置。登記日は同年10月23日。住所は、港区西新橋1-15-1 住友田村町ビル (←建物はすでに取り壊され、2022年1月に銀泉西新橋ビルが竣工)日本進出の準備・調査に関わっていたDr. Ralph W. E. Reidが、Representative in Japanとして日本に派遣された。当時、顧客は日本企業と米系企業各1社。
1991年4月時点、ACCJ(在日米国商工会議所)の依頼で「日本市場との貿易ならびに投資」の調査を実施。80社におよぶインタビューは、多くの経営者とつながる機会になった。また、同年6月、ACCJの主催により在米企業を日本に誘致するための「How to」セミナーを、LA、シカゴ、NYで開催。1992年8月時点で、日本の従業員数は31名。ほとんどが入社2年未満で、年齢・国籍・背景はバラエティに富んでいた、とのこと。(Newsletterより)
社名:エー・ティー・カーニー株式会社
1995年12月18日に日本オフィスを現地法人化
社名:A.T. カーニー株式会社
2012年4月1日 社名の一部をアルファベット表記に変更
文化の衝突、会社の危機、そして復活
もちろん、急成長には、新たなニーズへの迅速な対応や、良好な資金状況の維持など、さまざまな課題が伴います。 1995年当時、こうしたハードルをどう乗り越えるかは明確ではありませんでした。そして、状況は思わぬ方向へ展開しました。
ITサービス大手のエレクトロニック・データ・システムズ社(EDS)が、カーニーを現金と株式で50対50の割合で買収しました。EDSには、当時カーニーに不足していたITの専門知識があり、インフラ投資を行うだけの資金力がありました。また、コンサルティング市場での存在感を高めることにも意欲的でした。この合併は最初の数年間は順調に進み、コンサルティング会社としての規模は2倍になり、特に調達分析における技術的な能力も拡大しました。
しかし、10年も経たないうちに、企業文化の衝突が激しくなり、提携が危ぶまれるようになりました。インターネット・バブルの終焉とともに、収益が縮小し、コスト削減の圧力が強まり、関係はさらに悪化しました。経営陣の一部は、将来の当社の成功のために必要だと考え、大胆にもマネジメント・バイアウトを提案しました。そして、EDS社と交渉し、最終的には26カ国にわたる177名のグローバルパートナーに、自社を取り戻すことが次善の策であるということを説得することに成功しました。
当時(2005年11月)、当社は47拠点で2,500人の従業員を抱えていました。もちろん、新興企業とは真逆の存在でありながら、このバイアウトは、まさにゼロからの出発という感覚でした。
むしろ、この解散が道を開き、独立を取り戻した当社は、新たな自信とともに登場しました。収益は50%増加し、グローバルな事業展開はラテンアメリカにまで拡大し、数々の賞を相次いで受賞するようになりました。2016年には、元祖コンサルティングファームの一社として90周年を迎え、同時に事業を前進させる新たな能力を目標に掲げました。2019年、当社はビジネスアナリティクスとデータマネジメントの精鋭企業であるサーヴェロ社を買収し、今や急速に進化するテクノロジー主導型のコンサルティング領域で主導的地位を確保しました。
新世紀を迎えるにあたり、その後10年は会社を活性化させ、将来を見据えるために、市場と社内の両方でどのような存在になるべきかを考えるのにふさわしい時期とされました。この間、多くのことが変化し、進化を遂げましたが、当社の伝統だけでなく、現在と未来の可能性を象徴する企業でありたいという願いが強くなっていました。
そして2020年、初代マネージング・パートナーの名前を長く使ってきた当社は、グローバル・ブランド名をKEARNEYへと刷新し、ブランドを一新しました。
それは、当社のコンサルタントが他の企業にはない真の親近感を持ってクライアントと肩を並べて働き、変革の旅をわかりやすく楽しいものにし、最終的にクライアントが際立った成功を収めるという、これまで受け継がれてきた特徴を反映したものです。同時に、ブランディングにおいて、KEARNEYを支えている従業員、元社員、仲間といったグローバルな家族を意識し、当社の印刷物やウェブサイト等に使用する画像は、ありきたりのストック画像ではなく、社員自らが撮影した写真を採用するという大胆な試みも行いました。
社歴その3
| 1995 | EDSがKearney, Inc.を買収 |
| 2006 | MBO(マネージメントバイアウト)により、Kearneyパートナー陣が経営権を獲得 |
| 2008 | Consulting magazine誌の「Excellence in Diversity award」受賞 |
| 2011 | Consulting magazine誌の「Best Firm to Work For award」を4年連続受賞 |
| 2014 | 「100 Best Companies on Working Mother」に選出 |
| 2016 | 創立90周年を迎える |
| 2018 | MEA(中東およびアフリカ地域)を再活性化 |
| 2019/1 | ビジネスアナリティクスとデータマネジメントのコンサルティング会社Cervelloを買収し、傘下に |
| 2020/1 | グローバルブランド名をKearney から「KEARNEY」に変更 |
| 2021/3 | ダイヤモンド社とOpenWorkが実施した「社員からの評価が高い企業ランキング2020」でA.T. カーニーが1位に! |
| 2021/12 | 北欧の調達・サプライチェーン コンサルティング会社Prokuraを買収し、傘下に |
| 2022/11 | AIソリューション会社OPTANOを買収し、傘下に |
| 2023/7 | 新規事業コンサル会社Silicon Foundryを買収し、傘下に |
| 2023/7 | インダストリアル・デザイン会社TEAMSを買収し、傘下に |
| 2023/9 | 中東の経営コンサルティング会社MSEを買収し、傘下に |
| 2024/10 | 農業ビジネスコンサルティング会社The Context Networkを買収し、傘下に |
2025年8月現在、Kearneyは世界45の国と地域、89拠点に5,700名のスタッフとグローバルネットワークを擁しています。